音は、軟骨から伝わるか? ②
次々と立ちはだかる大きな壁
現在、リオン技術開発センターの顧問を務める岩倉行志は、軟骨伝導補聴器の開発に挑んだ技術者だ。ところが初期段階で大きな壁にぶち当たり、製品化は難しいという結論に到達してしまう。岩倉はその理由をこう説明する。
「圧電型の振動子は、聞こえがいいということで試作を始めたんですが、これを駆動するためのICには3 V以上の電源供給(一般的な補聴器は1.4 Vのボタン型空気亜鉛電池を利用)が必要でした。また、ICの消費電力は60mW以上で一般的な補聴器の60 倍以上です。それに、圧電型は低音域の振幅が小さく、出力がとれない(足りない)。これはちょっと製品化は難しいと、自分の中で早々に結論を出したんです」
製品化はいきなりパラダイムシフトを迫られた格好に。圧電型に代わる手法で振動子を動作させる方法を模索していった岩倉。リオンに入社直後、バランスド・アーマチュア方式(BA方式/電磁型駆動方式)のイヤホン開発に携わった経験から、電磁型振動子を採用する方向で開発を進めることになる。この電磁型振動子開発にはNICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)から助成金を得られることになり、新たな開発がスタート。ただ、この先もすんなりとはいかなかったという。
「電磁型構造の振動子を試作したところ、圧電型振動子を上回る出力を得ました。でも衝撃に弱く、使用には耐えられないものでした。落下などの際、磁性材のアーマチュアが影響を受けてしまうんです。ここでも大きな壁が立ちはだかったように思いました」
それでも、この段階で岩倉の頭の中に「諦める」という選択肢は不思議と浮かんでこなかったという。試作を依頼されてから約2年後の2011年に定年を迎えたことも吉と出た。多くの業務を管理するという職責から離れ、自由に開発に打ち込める環境と心情が整っていったからだ。とはいえ、まだリオン内部でも大人数を動員して開発する状況にはなく、一人で黙々と試行錯誤を重ねる日々。はた目からは道筋の定まらない孤独な戦いにも見えた。
正しい理論を重ねればきっとゴールは見える
そして大きな変わり目が訪れる。何度も何度も試作を重ねて部内で発表を続けてきた岩倉。そんな模索のさなか、ある人物から大きなヒントを得るのだ。
「理化学研究所を定年後、リオンの顧問となった伊達宗宏先生から、しばしばアドバイスをいただいていて、ある時、空隙はアーマチュアの片側だけでなく、両側に設けてはどうかとアイデアをくれたんです。それが大きなヒントになりましたね。少し前に動きは違うが似た構造の特許を出していて、これだという感覚があった。新発想のBA-S型振動子の構造へと頭の中で理屈がつながっていったんです」
アーマチュアは別名・可動鉄片と呼ばれ、従来のBA 型構造では2 つの磁石の間に空隙をもって置かれる。アーマチュアがヨーク(継鉄)と固定される片持ち梁構造である。そしてアーマチュアは磁性材でなければならず、磁気特性を確保するために高温の水素炉でアニールされる。ゆえにアーマチュアのバネ性は通常のバネ材より著しく弱い。一方、新構造のBA-S型では4つの磁石を用いて左右両方にBA 型構造を用意し、その間に板状のアーマチュアを適当な空隙を設けた上で配置。アーマチュアとヨークの間に4 つのバネを配置し、アーマチュアが変位した際の復元力をバネが受け持つ構造とした。この新発想によって耐衝撃性が飛躍的に向上。大型化も小型化も自在で、設計の自由度を兼ね備えた振動子が完成することになる。
「試作してみた時は、わあ、素晴らしいという感動がありましたね。2013年のことです。今後、これは振動子のスタンダードになるかもしれないとさえ思いました」
今ではリオン社内で「i振動子」と呼ばれるこの構造。iはもちろん岩倉の頭文字から取られたものだ。あらためて、この構造を実現させた経緯について本人はこう振り返る。
「苦労といえば苦労ですが、結局は理屈の積み重ねだとも思っていました。ですから、ゴールが明確に見えていたわけではありませんでしたが、自分なりに失敗から学びつつ、アドバイスもいただいて、少しずつでも前に進んでいる感覚はありました。それにしても、私は遅咲きですよね(笑)」
そして、2013年に軟骨伝導補聴器の開発が経済産業省の委託事業に採択され、奈良県立医科大学(臨床評価を担当)と調布電子工業株式会社(振動子部品の金型製作を担当)およびリオンの共同体で3年間開発を行うこととなり、人・物・金の確保が実現。後の製品化へとつながっていくことになる。